
まずはプロフィールをご紹介しますね

ピアニスト、ソニー・クラーク、本名はコンラッド・イエーティス・クラークは1931年7月21日ペンシルベニア州の炭鉱町・ハーミニーで生まれました。
幼少のころよりピアノを始め、6歳のときには既にラジオに出演しブギウギピアノを弾いたこともあるようです。15歳になると、エリントンやベイシー楽団に影響を受け、ジャズに熱中するようになります。
ハイスクール時代には、ピアノやベース、ヴィブラフォンも演奏していました。20歳になると、西海岸のロスアンジェルスを拠点に音楽活動を始め、地元のクラブや、クラリネット奏者、バディ・デフランコのバンドで腕を磨きます。
1957年、ダイナ・ワシントンの伴奏者になったことを契機に、ニューヨークに拠点を移し、ブルーノートと契約。26歳の誕生日に、初リーダー作『ダイアル・S・フォー・ソニー』を録音します。以降は4年の間に40回以上の録音に参加するほど、ブルーノート・レコードにとっては欠かせないピアニストになってゆきます。
彼のリーダー作の中では、女性の脚が大きくトリミングされた『クール・ストラッティン』が有名ですね。もっとも、これを評価したのは日本のジャズファン。本国では高い評価を受けてはいませんでした。多くのレコーディングをこなしたにもかかわらず、その音源の多くは未発表のままに眠っていたことも、当時の彼の状況を物語っているようです。
優れた才能を持ちながらも、生前は高い評価を受けていなかったクラークは、重度の麻薬依存症になり、それがたたり、1963年の1月13日、
ヘロインの過剰摂取により死亡。31歳の若さでした。
ピアニスト、ビル・エヴァンスはSonny Clarkのスペルを並べ替えたタイトルの鎮魂歌「N.Y.C's No Lark」を作曲しています。